過去の名勝負

紫の記憶〜2005年夏・天理–国士舘〜

今回は「思い出の試合」と題して、個人的に思い出深い試合やファンの方にも懐かしい名勝負を深掘りしていきたいと思います。

この記事がその第1回目、今回はちょっと懐かしくもあり、僕にとって高校野球ファンとしてのルーツ・原点にもなっている印象深いこの試合に焦点を当てました。

※選手名が数多く出ますため、記事の読みやすさの関係上敬称略とさせていただきます

 

第87回全国高校野球選手権大会・1回戦 

大会1日目第3試合 天理–国士舘(2005年8月6日)

1.両チームについて

2.試合について

3.まとめ

4.この試合から感じたこと

 

1.両チームについて

2005年の夏の甲子園、大会初日の最終ゲームに組み込まれたのがこの天理–国士館の試合。天理は3年連続22回目の出場で、なんと2年連続の開幕日での登場となった。一方の国士舘、選抜大会7回(当時)出場し幾度となく上位進出を経験した東京の雄も夏はこの2005年が初出場だった。

前年の選手権ベスト8、同年選抜もベスト8と2期連続甲子園で上位進出を果たした天理。1年生から甲子園を知る眞井をはじめ、4番田中克誠、エース小倉らスタメンの大半が昨年夏の甲子園を経験。経験豊富な天理95代もついに最後の夏となった。

夏の奈良大会はノーシードからの戦いとなり、県大会1回戦はなんと智弁学園との対戦。橿原公園野球場(現佐藤薬品スタジアム)に約5000人が詰めかけたこの”事実上の決勝戦”を5-1と制すると、実力・勢いそのままに奈良工、五條、郡山、高取国際、広陵と下し、見事3年連続そして春夏連続の甲子園を決めた。

選抜で好投手を打ち崩し猛威を振るった打撃のチームであったが、この夏の奈良大会はどうも調子が上向かない。合計6試合でチーム打率は.326だったが、上は5割超下は1割未満と、打線の中でムラがあった。4番田中、6番東といったこれまでチームを支えてきた強打者にあたりが出ておらず、そして頼みの3番眞井が初戦で打球を顔に当て骨折するアクシデントに見舞われた。眞井は驚異的な復活を見せ2回戦の1試合を欠場したのみで他全試合に出場、打率.400と結果を残すが、チーム状態特に打線には不安材料が見られた。しかし甲子園経験な豊富選手を多数揃えており、投手層は厚く守備も堅実。大舞台に乗り込んでからの戦いがどうかというところであった。

 

国士舘は先述の通り夏は初となる甲子園を目指しての都大会の戦いであった。当時国士舘は東東京大会に出場。”俊足の高橋兄弟”9番高橋厚史と1番高橋智史、そして2番大沢が出塁してかき回し、2年生の3番野村、4番藤嶋、6番主将桐生と勝負強い中軸が返すという打線。チーム打率は.393、典型的な機動力のチームで足を絡めたその攻撃力は高いものがあった。投手はスリークォーター気味に投げる右腕エース山形が制球よく的を絞らせない投球で打たせて取る。

前年夏ベスト8同年選抜にも出場した好左腕斉藤勝(元日ハム)を擁する優勝候補修徳、こちらも好投手麻生を擁する日大豊山といった強豪を倒し堂々の東東京優勝。夏初出場とはいえ充実の戦力と戦いぶりでこの夏の甲子園に挑んだ。

 

 

2.試合について

先攻国士舘、後攻天理。天理先発は背番号1の左腕小倉、国士舘先発はこちらも背番号1の右腕山形、両エース先発で試合は開始した。

天理のエース小倉は持ち前の低めに集める投球で国士舘打線を打ちとる。180cmの長身から、速球は130km前後の最速だが制球力よく変化球を操る。上々の投球で国士舘打線を抑える序盤。一方の国士舘山形、こちらも制球の良さは甲子園でも健在、小気味良くコーナーを突く投球で天理打線へ。こちらも良さを発揮した投球で上位打線を抑えた。

試合が動いたのは2回裏。5番橋間のライト線二塁打を足掛かりに1死3塁。ここで迎えるバッターは7番森川尚敬、当時天理を率いた森川芳夫監督の長男。父である監督と3度目の親子鷹での甲子園だった。しかしこの最後の夏の奈良大会は21打数2安打、打率.095とあたりが止まっていた。

この甲子園で復調するか、いきなりチャンスで回ってきた第一打席。森川は外角やや甘く入った変化球を片手で拾い、打球はピッチャー山形の右を抜けセンター前へ。この試合の先制点は天理。予選で低迷した伏兵の一打で1点を先制した。

その後もランナー2塁から8番ピッチャー小倉のライト前ヒット、ライト藤嶋が弾く間にランナー森川が還りもう1点。下位打線の活躍で天理が幸先良く2点を先制した。

天理はこの試合初回に3番眞井に、2回は6番東と8番藤原にそれぞれを送りバントと、中軸打者にもバントを命じ手堅い攻めを見せた。森川監督の特徴的な采配でもあるがこの試合はチーム状態を見ての判断だったのか、徹底していた。

3、4、5回と0が続いた後、6回表国士舘。先頭の高橋兄弟双子の兄・厚史が三遊間へしぶとく内野安打で出塁。すぐさま盗塁で2塁を陥れた。続く1番の弟・智史のセンターフライで3塁へ。自慢の足であっという間にチャンスを作り出した。その後3番野村のセカンドゴロの間に高橋厚史がホームイン。ヒット1本に盗塁1つ、国士舘らしく足・機動力を活かして1点を返す。

しかし直後の6回裏に天理も反撃。3番眞井がライト線に二塁打、4番田中がセンター前ヒット。3、4番に出た待望のこの試合初にヒットでチャンスを作ると、続く5番橋間がタイムリーヒット。すかさず天理が1点を還す。クリーンナップの3連続長短打と鮮やかな攻めだ。まだ無死1、2塁と続く。

ここでも森川監督は6番の東にバントを命じ、さらに1死2、3塁とチャンスを拡大。ここで回ってきたのが7番森川。この日先制タイムリー、続く打席も2塁打と、甲子園で息を吹き返したような活躍だ。ここで追加点となれば試合の流れも大きく天理に傾くかという場面。

しかし低めのボールに手を出した打球はショートフライ、ランナーは動けず2死2、3塁。当たっていた森川だったがこの打席は淡白に見えた。続く8番の藤原はライト線方向に鋭い当たり、抜けそうな当たりであったがボールはライト藤嶋のグラブへ。1死2、3塁のチャンスは活かせず6回裏は1点止まりであった。

追加点のチャンスに内野フライといい当たりの外野フライ。順番が逆であればさらに1点。天理にしたら追加点こそ入ったものの後味の良くない、流れを掴み切らない攻撃となった。まだどこか安心できない状況が続く。

その後両チーム追加点は入らず。天理小倉、国士舘山形の投げ合いが続いた。天理小倉はこの試合打ち取るだけでなく三振の数も積み重ね、低めのボールは一段と冴えていた。山形も内外にボールを散らし天理打線に的を絞らせない。時折捉えた当たりはされるものの野手の正面を突き、しっかりとコーナーにボールを決めていた。両エースが持ち味あるいはそれ以上のものを見せた投球を繰り広げ、攻撃力の高い両チームの前評判とは裏腹に、試合は3-1とロースコアでついに最終回9回表を迎えた。天理2点リードだった。

天理の勝利まで後アウト3つというところだったが、ここにきてエース小倉の制球が乱れ始める。というよりは低めに決まっていたボールが沈んできたというべきか、疲れが見え始めた。

この隙を国士舘が見逃さない。しっかりとランナーを貯め天理バッテリーにプレッシャーをかける。天理ももちろん国士舘の機動力は認知し警戒している。連打で無死1、2塁。ランナー入るだけでプレッシャーだ。

ここで小倉が次の打者に投じたボールは、キャッチャー橋間のミット手前でバウンドし大きく弾んで一塁ベンチ方面へ。このボールを橋間が見失っている間に、国士舘のセカンドランナーが一気にホームイン。3-2、足でプレッシャーをかけた国士舘が追加点をもぎ取り、ついに1点差まで詰め寄った。記録はパスボール、しかし暴投に近いようなボールで、ここまで国士舘打線を抑えてきた小倉のボールとは明らかに異なっていた。国士舘の足・機動力がもたらしたバッテリーミスと言って良いかもしれない。

気を取り直したい小倉だったが、その後もランナーを3塁に置き、迎えるは国士舘の6番主将桐生。小倉が投じた直球は勢いなく真ん中付近へ。これを見逃さず打ち返す桐生、捉えた打球は鋭くライトへ。天理ライト松原の前でわずかショートバウンドしてライト前タイムリーヒット。国士舘がついに3-3同点に追いついた。疲労を隠せない小倉と僅かな守りのミスを突かれ、天理は勝利目前で同点を許した。

9回裏、嫌な流れを立ち切りここでサヨナラで仕留めたい天理だったが得点はならず。土壇場で追いついた国士舘の流れのまま、この日第3試合だったこの試合はナイター点灯の元、延長戦に突入した。

10回表、国士舘の攻撃はまたしても9番高橋厚史から。高橋の打球はしぶとく三遊間を破りレフト前へ。”魔の9回”に続き俊足の先頭バッターを出塁させた。そして次に1番高橋智史を迎えるところだった。

小倉は1塁に牽制球を投じる、これに高橋厚史が釣り出された。嫌なランナーをこれで消せるか。しかし今度は天理の内野に綻びが出た。挟殺プレーの中、セカンド森川が1塁カバーに入った小倉に投じたボールが高く逸れた。小倉がグラブを差し出すも僅かに届かず、グラブに当たって後ろに逸れる。手にしかけたアウトを取りこぼし、ランナーを2塁まで進めることとなった。明らかに痛い守りのミスだった。

足で掻き乱して相手のミスまで引き起こした国士舘はさらに勢いづく。この後1死1、3塁としたところで1塁ランナーがスタート。これを刺そうと2塁へ投じたキャッチャー橋間だったが、なんとその間に3塁ランナーがホームへ。

ダブルスチール。この最終盤で国士舘は足で1点をもぎ取ってきた。国士舘としたら自分たちの攻めの形で取った大きな1点、天理としたらミスも絡んで相手のやりたいようにやられた痛い1点だった。それまで笑顔も見せていたエース小倉が失点直後にがっくりしゃがみ込んだ様子からもそのダメージの大きさが窺える。

尚も国士舘の攻撃は続く。4番藤嶋は小倉のボールを完璧に捉えセンターオーバーのタイムリー2塁打、2点追加。続く高橋智之はライト前ヒット、ライト松原から矢のような素晴らしい本塁返球が来るがこれを橋間が取ることができずホームイン、1点追加。小倉も力尽き、守備陣も精彩を欠いて見えた。小倉は10回表2死でついにマウンドを降り、背番号14の2年生右腕藤井が後続を抑え国士舘の攻撃が終わった。10回表に一挙4点。7-3、国士舘の4点リードと変わった。

10回裏の天理は四球等でチャンスを広げ2死満塁と攻め込む。ここで回ってきたのが、今日攻守に鍵となっている7番森川だった。一打出ればまだまだわからない状況、伝統の応援ワッショイが後押しする中、森川が振り抜いた打球は痛烈にセカンド方向へ。

しかしこの打球はセカンドの正面をつきセカンドライナー、試合終了。延長10回、7-3。国士舘が逆転で天理を下した。

夏は初めてとなる国士舘勝利の校歌が甲子園球場に流れた。カクテルビームに照らされた天理のユニフォームはより紫の深みを増してかっこよく見えたが、校歌の後の選手たちは悔し涙に暮れていた。

特にエースの小倉。春選抜も敗れた準々決勝愛工大名電戦でベンチから涙ながらに仲間を応援する姿が印象的だった。この夏の甲子園でその悔しさを晴らすことはできず、仲間に抱えられ帽子で覆った顔をあげることができない。笑顔のエースがまたしても甲子園で涙に暮れた。もっと甲子園でプレーをしたかった悔しさ、もっとプレーを見ていたかったアルプスやファンの想い、エースのこの姿に全て象徴されていた。

国士舘(東東京)
000 001 002 4-7
020 001 000 0-3(延長10回)
天理(奈良)
(国)山形-桐生
(天)小倉、藤井-橋間

 

 

3.まとめ

実力十分の名門天理 守りの乱れ、国士舘の足技に散る!

天理側からするとなかなかにショッキングな敗戦だった。相手の機動力にかき乱され、柔よく剛を制された。8回まではほぼ天理ペース。しかし終盤に国士舘が足を絡めた積極的な攻撃を展開、天理の守りのミスも誘発しながら得点を重ね突き放した。天理は終盤の守備、特に延長10回表ではやや集中力を欠いた感すら受けた。足技から同点勝ち越しを許した後は打ち込まれ小倉も力尽きた。翌日の朝日新聞での題字は「天理 痛い守りミス」。バッテリーを中心とした守りの乱れに焦点が当てられた。

ただ個人的にポイントと感じたのは打撃の方だった。特に国士舘に1点を返された直後の6回裏、クリーンナップの3連打で1点を返した後の場面。この時点で無死1、2塁、6番東がバントで送って1死2、3塁。絶好の追加点のチャンスであっけなくフライ2つで攻撃終了してしまった。中軸が打って追加点した流れもあった中で少々痛い凡退、国士舘を突き放しきれなかった。この場面で1点でも2点でもさらに取れていればと感じざるを得ない。

打撃に関しては県大会で懸念されていただの不安材料が拭いきれなかった点も悔やまれる。先述の通りクリーンナップの3連打こそあれ、この試合は比較的チャンスが下位打線に回ってくるケースが多く、上位が出塁して自慢の中軸が還す本来の得点パターンではなかったことが窺える。なかなか攻撃での流れを作り出せなかった。強力な打線を売りにしたチームで、前年夏も同年春もその持ち味を発揮して甲子園を勝ち進んだがこの2005年夏は打線が消化不良気味。本来の姿を見ることができず終わってしまったことが残念だった。

しかし国士舘の野球は見事。尻上がりに自分たちの攻撃を展開し、最後は天理を飲み込んだ。小倉が好投を続ける中でも出たランナーが盗塁など積極的な”足攻め”を仕掛け、塁に出ては必ず爪痕を残していたことが、小倉を含めた天理の守備陣に見えないプレッシャーを与え続けていたのだと感じる。最終盤で天理守備の乱れ、小倉のスタミナ切れと言う形で表れた。若干イメージ的な話にもなるが、天理が伝統的に苦手とするタイプのチーム、攻められ方だった様にも感じた。

近年こそ健大高崎が足を使った積極果敢な盗塁・走塁で「機動破壊」と称されているが、この試合の国士舘こそ機動力で相手投手・守備を崩す「機動破壊」の先駆けのように感じた。自分たちの持ち味を発揮して勝ち切った、国士舘会心の勝利だった。

 

4.この試合から学んだこと

①トーナメント、一発勝負が故の怖さ、いつ終わってしまうかわからない儚さ

②甲子園での1試合1試合は2度と見ることができないオンリーワンの試合

高校野球において至極当然のことではありますが、この2点を痛感させられた試合でした。

前々回の記事にも書いた通り、僕はこの世代の眞井選手のファンでした。2004夏はもちろん、同年2005年選抜での眞井選手の活躍も目にしていました。しかし今思えば信じられないのですが、実は僕この試合をリアルタイムでは見ていません。

当時まだ高校野球を見始めの僕は今ほどの熱量もなく、開幕からかじりついてみるなんてことはしておらず。しかも天理は強いからまた上位に上がってくるだろう、そんな気持ちもあり初戦はほぼマークしていませんでした。だからこの試合の結果を後に知った時は衝撃でした。開幕したばかりの夏の甲子園のまだ初日で、この代の天理が、あの眞井選手が、もう見られなくなるなんて思ってもいなかった。

当時は今ほどネットの情報、それこそYouTubeのような動画視聴サービスも発達していなかったので事後で得られる情報は多くはなく。なのでこの国士舘戦がどうだったのかを探るために、ネットの情報はもちろん学校の図書館にある過去の新聞記事等、見られる媒体を片っ端からひっくり返して情報を探していたのを覚えています。この試合の模様をしっかりと見ることができたのはほんのつい最近です。

「たった1試合見なかっただけで、あの大好きだった世代の最後の試合を見逃した。」試合結果の衝撃とともに、この高校野球の儚さを思い知らされたのが、他でもないこの試合でした。当たり前のことですが、負けたら終わりのトーナメント、いつ終わるかなんてわかりません。それを痛感しました。

そして1学年単位でみたら甲子園で戦う試合・対戦カードは一期一会でオンリーワン。総当たりでもリーグ戦でもないから全ての高校と対戦することなんてない。だから同じ世代で、甲子園で当たることなんて2度とないことで、甲子園の1試合1試合は2度と見ることができない試合。

そういったことをこの試合から学んだので、僕はその翌年2006年からは、見られる限りの甲子園の試合は全てテレビて見て、見られなかった試合の結果は必ずチェックする、ということを続けて今に至ります。そして天理の甲子園の試合は必ず録画、これも2006年夏から今までずっと続けてます。

この試合は試合結果やその世代への思い入れだけではなく、高校野球ファンとしての僕のルーツでもあるという点から、思い出の試合の一つになっています。

https://www.youtube.com/watch?v=Qq9UPz2WuH0

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。この試合のインパクトがあまりにも強すぎて、負けた相手ではありますが国士舘は好きなチームの一つになっています。今やこの国士舘と同じ世田谷区に住み、東京大会での勝ち上がりはいつも注目しています。夏の甲子園出場はこの2005年以降ないので、また甲子園の舞台で見たい学校です。

後半個人的な話も入りましたが、こんな形で過去の試合を振り返る企画はまたやってきたいと考えてますので、引き続きご覧いただいけたら嬉しいです。

 

それではまた!

ガッツ天理🟣⚾️!!

 

ABOUT ME
kosuke@天理野球部応援
新潟出身東京在住。2004年〜天理高校ファン。高校野球は地元新潟県勢と天理高校を応援してます。生きてるうちに天理高校と新潟県勢の全国制覇が見たい!